言葉は誰のために覚えるのか?

今日、12ヶ月間近の娘と楽しく戯れていた時に、ふっと嬉しい発見がありました。

今までモヤモヤしていたこと、「言葉は誰のために覚えるのか?」という疑問の自分なりの答えが見えたからです。

 

娘はまだ話すことはありません。やっとそれらしき言葉を発することが増えてきたくらいです。「とーたん」が私には「父さん」に聞こえ、絵本をもってきて「ほえ」と言うのが、「これ(読んで)」に都合よく聞こえて喜んでいます。

 

言葉が通じないからこそ、彼女のことを理解しようと、必死になって表情やしぐさや発する音に敏感になれているのだと思います。

 

私は教育の現場で、国語の学習にも携わってきました。乳児の頃から読み聞かせをして、本を沢山読むことで、読書力を培っていく。その中で多くの言葉と出会い、様々な表現ができるようになることで、色々な人と高度なコミュニケーションがとれるようになる。

言葉を覚えるのは、周りの人を理解することにつながり、周りの人を助けることになる。

どちらかというと、言葉は人のために覚えていくものだと思っていました。

 

でも今日、娘と柔軟剤の詰め替え用の袋をクチャクチャしながら遊んでいるとき。一緒のものをみて、「あ~」「あ~」と一緒になって言葉なき声をあげて笑っている時に気づきました。

二人で見つめ合って最高な気分。これ以上の幸せはないと感じたからこそ、

「相手のことを理解するために、言葉は邪魔になることもあるな」と。

 

相手のことを理解するためには、言葉を沢山覚えた大人になっても、今のように相手の表情やしぐさ、言葉にならないものに耳を傾けることを頑張るべきだと思いました。

「もっとちゃんと言葉にして言ってもらわないとわからないよ」という世の中にありふれた台詞。私もついつい相手が赤ちゃん以外だと使ってしまっていたと反省しました。

 

本当は、この台詞を含め、沢山の言葉を色々な形で使えるように覚えていくことは、誰のためでもなく自分自身のためなのではないかと思ったのです。

自分のことを理解するのが一番難しいと言われるように、自分の気持ちと向き合って、自分と対話していくことはとても難しいことだと思います。

イライラしたり、不安や緊張でパニックになってしまうのも、自分の状況や気持ちを言語化して整理できないことが大きな要因になっていると思います。

そういう時に自分ではなく、相手や周りの人にあたってしまって、傷つけてしまったりするのだと思います。暴言や暴力もそこから生まれているのかもしれません。

 

 

娘にまた重要なことを教えてもらいました。

私は今日から、自分のために言葉をもっともっと練習して上手に使えるようになります。

そして、周りの人のために表情やしぐさ、言葉にならない声にもっと耳を傾けられる大人に成長していきたいと思います。

 

この日記も読んでくださる方にはモヤっとかもしれませんが。。。お陰様で私自身にとっては自分のために言葉を連ねたことで、頭と気持ちが整理できて、スカッとしました。

優しい気持ちになれたので、スヤスヤ寝ている娘にナデナデをして寝ることにします。

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