「書けるようになる」を急ぐ落とし穴?

先週は岡山に講師としてよんでいただき、出張勉強会。

学習指導キャリア40年以上の大先輩もご参加くださり、「子どもたちの指導者としての神髄を感じて何度も涙がこみ上げた」とおっしゃってくださいました。
年齢、年代の枠を越えて共感できる喜びを感じました。

今回の話題の1つは、学習における「書き」について。

2枚の写真は娘が1歳10ヶ月頃のもの。「書き」ときいてどこに注目しますか?

パソコンやスマホの普及で文字を書く機会は減っていますが、学校や学習の場面ではまだまだ「書く」力は必要になります。


「書く」には、紙に文字などを書いて表現する、伝えるというアウトプットの面以上に、
手を使って書く運動によって、頭(脳)に記憶しやすくするというインプットの面があるからです。

先日メモをとらなくなった若者についてメディアがとりあげていました。ノートに書いてメモをとらなくても、重要なことはスマホなどで写メを撮っているから大丈夫という若者の意見も。

個人的には聞いたことを覚えられて、頭に整理して残して使えるのなら取らなくてもいいけど、書いた方がそうしやすいよという意見です。

学習の現場では、「頭(脳)に書き込み」という表現でインプットとしての書きを推奨しています。

ここで本題ですが、だからといって特に幼児期の子どもたちに、早く「書けるようになってほしい」と書かせることを急いでしまうのは要注意です。

特に日本人の大人、親御さん、学校の先生、学習の指導者でもその傾向がとても根強いと感じています。

注意すべき点をいくつかあげると。

・小さな文字を書くというのは微細運動なので、大きく体を動かす運動(粗大運動)ができない子にとってはとても難しい。

・「書く」というと、鉛筆などを握って書いている手(書き手)に注目しがちですが、重要なのは反対の「軸手」であること。(軸手とはサッカーでキックをする時の軸足のようなものです。)

・眼球運動や目と体の協応性などの見る力(視機能)が難しい子は、微細運動や、軸手をうまく使って体のバランスをとることなどが難しくなること。

冒頭の娘の写真で、成長を感じるのは「軸手」と体のバランスです。

書くことも、スプーンですくうことも、土台となる力は共通しています。反対の手で上手に支え、自分の中心軸を持つことができると、動きが安定します。
それができれば当然、書く手、すくう手も安定して上手に動かすことにつながっていくのです。

日本では学校でもスポーツでも、運動、学習の現場でも、「○○ができない」なら「○○をさせる」。「○○させてできない」なら「何度も○○の練習をさせる」という指導が多い現状です。

例えば鉛筆でうまく線がなぞれない子に、何度もなぞる練習をさせても、なかなかできるようにならないことはよくあります。

その時に見守る大人がちょっと立ち止まって、他の理由を探ってほしいなと思います。 遠回りのようでも、きっとうまくいくことが、今より増えていくと信じています。

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