厳しさ と 恐さの違い

世の中には、厳しい人と恐い人がいると思います。

でも日本では厳しい人も恐い人も、全て「こわい」人と表現されることが多いようにも思います。

 

教育や子育て、スポーツの育成でも、躾や体罰がよく議論されますが、そんな時に私は常々この「厳しい」と「恐い」の違いの重要性を感じてきました。

 

私の思う厳しさは、

・相手の事や周りのことを第一に考えて、

・損得抜きに、絶対に譲れないという強い意志をもって

・行動や行いをやりきること。

 

一方の恐さは、

・自分の感情や思いを優先して考えてしまい、

・時には損得勘定も入りながら、自分の意思を貫こうとして

・相手や周りのことが目に入らずに行動や行いをしてしまうこと。

 

だと捉えています。

 

私は、指導者や先生、コーチには、厳しさは絶対に必要で

恐さは絶対に必要のないものだと思っています。

 

「叱る」と「怒る」の違いとも似ています。厳しさをもった人が行う「叱る」ことは必要でも、自分本位に「怒る」ことはないようにしたいものです。

 

違う角度から言えば、「怒る人」と接すると「恐い」と感じますが、「厳しい人」と接しても「恐い」とは感じないものだと思います。

怒る人がなぜ恐いかというと、自分の感情にまかせて周りを顧みずに何かをしそうな人なので、「何をするか分からない」から恐いのです。

何か?というのが、暴言だったり、暴力だったり、自分に危害を加えられるという想像を相手に与えているのだと思います。

 

一方で、厳しい人と接して「恐い」とは感じません。なぜなら相手のために考えて行動している人なので、「何をするかが分かる」からです。

自分のことを思って行動してくれることが分かっているので恐くはないのです。

 

よく教育関係者と話をすることですが、特に子どもはその違いに敏感です。

大人から観て、「あれだけ言われたら自分なら凹むな~」と思うような厳しい指導を受けた子でも、くじけることなく、スクールやクラブに通い続けて意欲的に頑張っていく姿は本当によく見かける光景です。

 

指導者やコーチにとって、厳しい人になるのは簡単なことではありません。

ついつい自分に甘くなって、「嫌われたくない」という自分本位の考えの基に行動、発言をしてしまいがちです。

ここは頑張りどころだから何が何でもやりきった方がよいと思っているのに、嫌われたくないから何も言わずにすませてしまうこともしばしば。。。

 

自分自身も日々甘い自分との葛藤です。

少しでも強い大人になって、厳しいことのできる本当に優しいコーチになりたいと思っています。

 

厳しい大人が増えれば、自分に厳しくできる素敵な子どもたちが沢山育ってくれると信じています。

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