認知と人気、それから認自?
人はいくつになっても自己承認欲求があるのだそうです。
娘のように赤ちゃんでも、小学生でも、サラリーマンでも、政治家でも、おじいちゃんも、おばあちゃんも。。。
自分の存在を認めてほしい、知ってほしい。他人、多くの人に、社会にと本能的に思っているのですね。
何か微笑ましいというか、人は一人では生きていけないということの象徴かもしれません。
私もこのことをよく考えます。特に我が子を含め子どもたちに「どんな人に育ってほしいか?」という話題になった時に考えることがあります。
私自身も社会人として、そんなこととも向き合って今に至っています。
例えば、前職の会社は、社員3000人以上、関係者も含めると10,000人以上。海外にも拠点があり、日本で社名をいえば少なくとも7割の方に分かってもらえる会社でした。
今はといえば、個人事業なので社員は一人。準備中とはいえ社名をいって分かるのは知人や関係者などで30人くらいでしょうか。やろうとしている例えば「ビジョントレーニング」という内容自体も日本でご存じなのは7%もいらっしゃるか分かりません。
これはいわゆる「認知」というものですね。どれだけの人に存在を認めてもらい、知ってもらっているか? 認知度が高いなんて表現されます。
私の状態は、認知度の高い企業を辞め、ほぼ不認知の状態になったのです。
似たような言葉に、「人気」というものがあります。
「認知」と「人気」は違うという話をしていた方がいて、面白いなあと思ったことを思い出します。
いわゆる著名人、有名人と言われる方々でも、認知度は高いけど人気のない人、認知度は低いけどめちゃくちゃ人気のある人。認知も人気も高い人など。
色々な種類があるという話。皆さんの中にも、それぞれのタイプでぱっと頭に浮かぶ方がいらっしゃると思います。
端から見ていると、認知もされて人気もある方をみると憧れますね。
それと同時にそういう方は、どうやってそういう風になれたのだろうというのが一番気になります。
身の回りの方々や、お世話になった方々に思いを巡らせてみても、認知も人気もある方々には共通点があることに気がつきました。
そういう方に、「すごいですね、みんなに人気があって羨ましいです!」と言うと、「自分ではそう思ったことはないんだけど、有り難いね」という返事が返ってくるのです。
凄い人なのに、とても謙虚な方が多いなあと思います。なぜ謙虚でいられるのか?と思ってみていると、そういう方々はとても自分のことを理解しようとしていて、自分のことをよく知っている人だなと気付くことが多くありました。
例えば、以前20代の頃、素敵な上司の方が披露宴でのスピーチを頼まれたというお話をしていた時。私から見ればいつもユーモアにとんだお話をアドリブでとても上手にされる方なので、余裕で準備をされるのだろうなと思っていました。
でもその方は、いつも必ず奥様に聞き役になってもらってスピーチのリハーサルをしている。忌憚なくダメだしされるから、「長すぎる、主役はあなたじゃないんだから」とか言われると恥ずかしそうに教えてくださいました。
とっても素敵だなと今でも大切にしているエピソードです。
自分のことをよく知っている方は、「自分のことは自分が一番知らない」と思って知る努力をされている方なのだと思います。
苦手なこと、嫌なことがあっても、自分と向き合うチャンスだと思って、人の力を借りてでも自分自身と向き合って、自分を乗り越えようとされているのだと思います。
そういう姿、そういう方を他人がみた時に凄いなと思ったり、感動したりするのだと思います。
私の今の状況は、端からみたら何よりも「認知」を急がないといけない状況だと思います。認知された先に「人気」が出ていくことを考えて頑張る時だとも言われるでしょう。
でも認知や人気を求めてしまうと、それを手にした時に進む道を見失ってしまうと感じています。
だからこそ、不安や恐怖に負けずに、努力すべきは自分を知ること。勝手な造語ですが「認自」(にんじ)することに努めるべきだと自分に言い聞かせています。
「認自」ができれば、それが正しければ、「認知」も「人気」もついてくるのではないか。
自分で自分のことを知って、認めることができたら、周りの評価を気にしすぎることなく、もっと自分のことを好きになれるんじゃないか。
それで自己承認欲求を満たすこともできるんじゃないか。
子どもたちにも、「認自」のために努力して世間からも認められる大人になってほしいと願っているので、自分も同じチャレンジから逃げずに挑戦していきたいと思います。